東京富士語学院界隈は、伝統ある下町文化に囲まれています。その一つが東向島3-18-3にある国指定名勝・史跡『向島百花園』です。

向島百花園は、1804年(文化元年)に開園しました。元は骨董商の佐原鞠塢が造営した民営の花園で、文化・文政期(1804~1830年)に江戸の町人文化が花開いた時期に誕生した、庶民的で風雅な庭園です。

開園の背景は、佐原鞠塢が、交友のあった文化人らの協力を得て、旗本・多賀氏の元屋敷跡に造営したものです。名称の由来は、「四季百花の乱れ咲く園」という意味で名付けられたという説があります。1938年(昭和13年)に東京市に寄付され、翌1939年(昭和14年)に都営公園として再開園しました。1978年(昭和53年)には国の名勝及び史跡に指定されています。

花好きの私は、学生たちと、折にふれて向島百花園を訪れます。歩いて30分程度、歩く道のりで、学生たちと話せるのが何より、そして、日本情緒を感じられる園内、四季折々の味わいが感じられます。茶室もあるし、茶店もあります。春の梅、春の七草(せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずなすずしろ)、の季節は最も情緒深いと感じています。

また、秋の七草のころも素敵です。秋の七草、これは山上憶良が万葉集で読んだ次の短歌に基づいています。万葉集、巻八1537『秋の野に 咲きたる花を指折り かき数ふれば 七種の花』。巻八1528『萩の花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝貌の花』。秋の七草は春の七草の食用とちがって、観賞用です。

向島百花園では、毎年、中秋の名月の頃、月見の会が開かれています。2025年は10月5日(月)―7日(火)でした。月見の会の時は、普段は午後5時で閉園する向島百花園ですが、午後21時まで開園していて、中秋の名月を楽しみます。

これまで月見の会を見たことはなかったのですが、今年は、最終日の7日(火)午後7時に学校を出て、こころ踊る思いで、速足に向島百花園に向かいました。残念ながら、江戸情緒を伝える<新内流し>は終わっていました。が、園内に入ると、そこは幽玄の世界・・・。筝の演奏が行われ、絵行燈が点灯され、息をのむ幽玄さ・・・。こころの底から、感動しました。

<萩のトンネル>のなかを、ゆったりと、歩きました。30メートルに及ぶ、萩のトンネルには、幽玄な行燈の光がともされていました。

絵行燈に山上憶良の和歌をみつけて、得も言われぬ感動を覚えました。

<秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花>

 

帰りに、園の方に聞いてみました。

「この絵行燈はどうやって保存しているのですか」

園の方は「毎年書いてもらっています」・・・。

「えっ。毎年、新しく・・・」

「そうですよ」

毎年、これを書く方が墨田区にいらっしゃるということに、こころを、つよく、打たれました。来年も、また来よう!

日本に住む幸せと、墨田区で働く幸せを感じた一夜でした。