私は学生の故郷を訪問することをライフワークとしています。2024年度は、縁あって、新疆ウイグル自治区、ウルムチを訪問しました。

中国に行くにはビザが必要です。しかも新疆ウイグル自治区のビザは外国人には取りにくいと言われましたが、ウイグル出身の学生(ディリレバさん:現在大学在学中)の両親たちの助け、学校の中国人たちの助けという幸運が重なって、ビザがおりました。

8月9日(金)8;30羽田出発、北京着、11:15(北京時間、北京との時差はー1時間)。北京14:30発、ウルムチ18;40着(北京時間、ウルムチ時間はー2,16;40)。のはずでしたが、この便に遅れて、次の便でウルムチへ。大雨で離陸が遅れ、ウルムチに到着したのは21:00。それでも、ディリレバさんの両親(以後、パパとママ)は空港に迎えに来てくれていました。中国のSNS,wechatで連絡を取り合って、すぐに情報を伝え合うことができる・・・本当に便利な時代になったものだと、心から感謝。

 

その後、タクシーで、パパとママの家へ。夜中になっていたのに、多くの家族が出迎えてくれました。ウイグルの伝統的な方式でもてなしてくださいました。手作りのおかし、果物(あんず、いちじく、ハミウリ、ぶどう)などが、ガラスの入れ物にきれいに盛られていて、伝統的な方法で手を洗って、挨拶。その後、ポロ(ラム、ニンジン、大根などがはいった米料理)、シシカバブ(羊肉の串焼き)、ラグメン(トマトベースのたれに羊肉、白菜、ピーマンなどの具材がはいった麺)サモサ、ナン、そして、鳥肉の唐揚などが、ほんとうにたくさん、運ばれてきました。ウイグル族の伝統では、料理を残しても失礼ではないということを教えてもらいました。

ウイグル語はラフマッしか、話せないし、中国語も片言なので、もっぱらボディラングエージでしたが、それだけに、あたたかさが伝わりました。ずっと待ってくれていた・・・そう感じると、こころが温まりました。

それから4日間、私たちはすっかりパパとママにお世話になることになりました。

8月10日(土)は午前中、日本語の塾、日進塾へ。これは、やはり私の学生のエルバンさんが教えてくれた学校でした。折り紙を折って、日本を伝えて交流をして、やさしい時間が流れました。

 

その後、パパとママがレストランにつれていってくれました。ここではバラのハーブティーを味わいながら、また、たくさんの料理を注文してくれました。

 

その後、パパが2年前に退職するまで40年間働いていた新疆図書館へ連れて行ってくれました。本好きの私は、図書がきちんと整備されている新疆図書館で真剣に学ぶ学生たちに感動しました。

 

夕方、紅山公園へ。934mの紅山。山頂からはウルムチンの町を一望できました。北京タイム9時ぐらいまで明るいウルムチ。ゆっくりと夕暮れを楽しむことができました。

紅山を下りて、国際第バザール、大巴扎(ダバザ)へ。解放南路に位置する、赤レンガのイスラム建築。西域の情緒たっぷりの工芸品、お土産品、西域の音楽も。歌と踊りのショーも行われていました。ウルムチのお土産とお昼お店でいただいたおいしいバラの紅茶、バラをもとめました。

夜は美食街へ。土曜日ということもあり、多くのお客さんでにぎわっていました。行列の出来ていた屋台のサモサをママの妹さんが、地元の知り合いなので、一番前に入って買ってくれました。行列のできるだけあって、焼き立てのサモサは中の羊肉がジューシー・・・

8月11日(日)は朝8時に出発して、天山天池のバスツアー。すべてパパとママがアレンジしてくれました。天池はエメラルドグリーンの美しい湖。西王母と穆公が会見した場所とされ、長い階段をのぼると王墓廟がありました。

   

ロープウエイに乗って、馬牙山(3056m)頂上へ。

天池の遊覧船に乗って、美しい景色を満喫しました。

8月12日(月)は、朝7時に出発して、ウルムチ南東183kmにあるトルファンへ。これもパパとママのアレンジ。もう感謝しかありません。トルファンはシルクロードの天山南路と天山北路を連絡する要衝として栄えた町。5~7世紀、漢族の移民によって高昌国が建設され、繁栄を極めました。その後ウイグル人が西ウイグル王国を建国すると、べゼクリク千仏洞を代表とする高度な文化が出現し、トルファンは最盛期を迎えたそうです。まさに、砂漠が続く街並みでした。

「西遊記」で孫悟空が活躍する火焔山。私たちはジープで頂上(851m)へ。ジープはすさまじいスピードで砂漠をものともせず、頂上に登っていきました。そこでみたのは、駱駝の隊列。まさにシルクロード・・・感動!!!

 

その後、高昌故城で、パパとママのはからいで、私たちは憧れの駱駝に乗ることができました。駱駝はかわいい。そして、ゆったりと、砂漠の暑さをものともせず、ゆうぜんと生きている。駱駝に乗って、感じたこと。そして思い出したのが「駱駝の涙」というモンゴルの感動的なドキュメンタリー映画でした。

その後、トルファンのブドウ園へ。トルファンの気候はぶどうの栽培に適しているとか。ウイグル人がガマの油売りよろしく、ブドウの説明をしていました。バスツアーの中国人たちは熱心に聴き入っていました。ときに笑いながら。まさに「対話」が続いていました。どんな話をしているのだろう???

最後の夜は、やはり学生のイリシャットさんの両親の家へ。奥さんはやはり学生のグリギナさん。ここにもパパとママがつれていってくれました。

そこはすばらしい邸宅でした。イリシャットさんのお父さんとお母さん、そして妹さん、そしてグリギナさんのお父さんも、私たちを歓迎してくださいました。

お母さんは子羊を1頭買って、3時間煮込んでラム料理を作ってくれていました。妹さんはオランダに住んでいて、英語ができるので、私たちは英語で対話をすることができました。英語で話すと、お父さん、お母さんにも、通訳してくれて、ウイグルの生活や、若いウイグル人が考えていることも知ることができました。伝統と新しい自由な考え方のなかで、親子が対話しながら、新しい世代は自分の生き方をみつけていこうとしている。その結果、ウイグル人が日本に学びに来ていることがわかりました。伝統から自由になるために。より自分らしく生きるために。

 

8月13日(火)私たちはウルムチを後にしました。このときも、パパとママが早くからホテルに来てくれて、空港まで送ってくれました。ウイグルを第二の故郷と思ってくれたらうれしい、というのがパパとママの信念であることを、ディリレバさんの日本語をとおして知りました。伝統に生きる世代の信念に触れた旅でした。

 

<対話>は、ことばが通じなくても、こころで対話できること。人は、対話によって変容していくこと、なによりも愛が大切であることを知った旅でした。ディリレバさん、パパ、ママ、家族のみなさん、イリシャットさん、お父さん、お母さん、妹さん、そして、支えてくれたみなさん。本当にありがとうございました。今度は日本に来てくださいね。