多文化共生社会とは、一人ひとりが自分の文化・言語に誇りをもち、同時に、隣人の言語・文化を尊重し、相互理解を深めていく社会です。多文化共生社会の実現に向けて多文化と日々触れ合っている日本語教師はどのような考え方で教育実践にあたっていけばいいのでしょうか。

日本語教師は、教師も学習者も同じ言語使用者という立場で、学習者が自分のアイデンティティを構築し、同時に他者のアイデンティティを尊重できるように、働きかけを行っていく必要があります。対話活動はそれぞれが自分のアイデンティティを確かめ合い、尊重しあう活動でなければなりません。そこには、それぞれのアイデンティティが尊重されることが、国家を超えた多文化共生社会を創造していくという理念があります。この理念の実現のためには、複文化能力・複言語能力を身につける必要があるとして、EU(欧州連合)は、複文化主義に基づいた複文化能力の育成、および、複言語主義に基づいた複言語能力の育成に取り組んでいます。複文化主義、複言語主義は、多文化主義、多言語主義とは異なる考え方です。私たち日本語教師は、複文化主義に基づいた複文化能力、複言語主義に複言語能力を身につける必要があります。

複文化主義(pluriculturalism)とは、自分の中にも他者の中にもさまざまな文化が存在し、そのことを互いに認め合うという考え方です。多文化主義(multiculturalism)では、文化を国別、地域別に分けて考えますが、複文化主義での文化能力―複文化能力(pluricultural competence)は、その人が体験してきたすべての文化的な事柄がまざりあって、一人の豊かな文化能力が作り上げられると考えます。このように考えると、ちがいがあることを受け入れ、ちがいが豊かさになっていると考えることができるようになります。 

複言語主義(plurilingualism)とは、一人の人の中にはさまざまな特徴をもつ複数の言語能力が存在し、それらが相互に作用しあって、”その人の言葉”を築き上げているという考え方です。多言語主義(multilingualism)では、各言語能力が独立して存在し、母語以外の言語能力は習得途中で不完全なものと考えますが、複言語主義での言語能力―複言語能力(plurilingual competence)は、その人の言語能力は、母語と部分的な言語能力が、相互に関係しあいながら存在し、その人の言語を形成していると考えます。こう考えることで、自分の言語能力、他者の言語能力を受け入れることができるようになります。

たとえば、クラスに日本語での対話力がなかなか身に付かない(ように見える)中国人学生Sさんと日本語での対話力がどんどん伸びていく(ように見える)中国人学生Tさんがいるとします。このような状態を多言語主義で考えると、Sさんが劣っていて、Tさんが優れているという優劣の物差しで見てしまうことになります。そうではなく、複文化主義、複言語主義で考えると、これは、SさんとTさんがもつこれまでの文化経験、言語経験が異なるからとなり、SさんTさんのそれぞれの日本語を受け入れることができるようになります。複文化主義、複言語主義で考えることによって、Sさんが日本語で表現できない時には、SさんがTさんに中国語で考えを言って、Tさんの仲介をとおして、Sさんの考えを知り、Sさんと対話することもできるようになります。そうすれば、アイデンティティが受け入れられたSさんは、理解された喜びで日本語の対話力も伸びていく可能性があります。

複言語主義による複言語能力とは、相手への配慮、円滑な目的達成などを考えて、ことばを使い分ける能力で、完全に使いこなせるかどうか(多言語主義による多言語能力)という考え方とは異なるものです。複文化主義、複言語主義で考えることができれば、教師自身が現在もっている自分の言語能力を受け入れることができるようになり、自分のアイデンティティを尊重することができるようになるとともに、他者の言語を受け入れることができるようになり、他者のアイデンティティを尊重することができるようになります。

私は、日本語教師は、複文化主義・複言語主義による考え方に基づいて日本語教育を行っていくことが大切だと考えています。

参考文献

奥村三菜子・櫻井直子・鈴木裕子編(2016)『日本語教師のためのCEFR』くろしお出版

細川英雄・西山教行編(2010)『複言語・複文化主義とは何か ヨーロッパの理念・状況から日本における受容・文脈化へ』くろしお出版

横溝紳一郎・山田智久(2019)『日本語教師のためのアクティブ・ラーニング』くろしお出版

                

                                2021年10月29日