2023年8月9日(水)―8月14日(月)4泊(機内泊1泊)6日で、カトマンズkathmandu、ポカラ(Pokhara)を訪れました。4年ぶりの学生の国、訪問でした。旅の目的は、東京富士語学院で現在学んでいる学生の母校を訪問し、学生たちの日本での様子を伝え、架け橋となることでした。

日本とネパールの時差は3時間15分(日本が3時間15分進んでいます)。直行便で約7時間半です。8月9日の午前11時に飛び立ってKathmanduのTribhuvan国際空港についたのが16:00。タメル地区のホテルについたのは、午後8時ごろでした。カトマンズの街は、5年前訪れたハノイよりも、もっとオートバイと自動車に溢れ、クラクションと排気ガスが踊る街でした。

でも夜の街の裏通りを歩くと、そこは南国のやわらかな雰囲気に包まれていました。

次の日は、朝4時に起きて、THAMELを歩きました。朝のTHAMELは、生徒たちが歩いていて、犬や猿が走り回り、ゴミの清掃とヒンドゥー教の祈りの街でした。

9時にきょうだい日本語学校のバハデュルKCさんが迎えに来てくれて、きょうだい日本語学校へ向かいました。

22人の学生たちが、目をキラキラさせて、東京富士語学院の説明をするわたくしの授業を熱心に聴いてくれました。ほんとうにキラキラした目が印象的でした。バハディルKCさんがとてもていねいに、通訳をしてくれました。バラディルKCさんは日本の鳥栖(佐賀県)の日本語学校で学び、専門学校に進み、そして、国へ帰って、このきょうだい日本語学校を作りました。今、東京富士語学院で学んでいるプリムさんが、「いい先生!」といってつないでくれたのでした。

わたし「みなさん、日本へ行きたいですか?」

学生たち「はーい!!!!」

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きょうだい日本語学校で

この国の学生たちはよい生活をもとめて、ネパールを出たいと考えています。ネパールを出たら、よい生活があると考える若者たちが80%だそうです。人気はアメリカ・カナダ・オーストラリア、そして韓国・日本。カトマンズには100以上の日本語学校があるそうです。日本に来てくれるのは嬉しいけれど、この国で若者たちが輝くような、そんな仕事を作っていかなければならないと、つくづく、考えさせられました。

次の日は200キロメートル西にあるPOKHARAポカラへ。午前9:30に出て、国内便で30分。10時にPOKHARA空港に着きました。中国のローンで今年1月にオープンしたというPOKHARA空港。そこに、NICE日本語学校の日本語の先生Suresh Adhikari先生と社長のBishow Kalyan Adhikari氏が迎えに来てくれていました。NICE日本語学校についたのは、10:45。ポカラの中心街Newroadのビルの3階に学校はありました。やはりポカラにも100の日本語学校があるそうです。

11:00-12:00、12:00-13:00まで、それぞれ20人前後の学生たちに、日本について東京富士語学院について、東京富士語学院の日本語の勉強について、私はこころを込めて語りました。まだ日本語を始めたばかりの生徒たちばかりでした。丁寧に通訳をしてくれたのはAdhikari先生。やはり、日本で学び、故郷へ帰って、日本語教師をしています。コロナで仕事がなくて本当に大変だったとやさしい声で語ってくれました。

エアコンのない教室で、学生たちは、ここでも熱心に耳を傾けてくれました。きょうだい日本語学校の生徒たちよりも、すこし、しずかな気迫で、はじらい、はにかんだような表情をしているのが印象に残りました。質問がありますか?

学生「日本で病気になったらどうしますか?」

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ナイス日本語学校

学生たちの心配していることが、わかりました。健康保険があること、東京富士語学院では少し具合が悪かったら、すぐ病院やクリニックにつれていくこと、無理をしないで、栄養のバランスのいい食事をとって、何よりも、学校に来て、クラスの友だちと仲良くなることが大切だと伝えました。そのような環境を東京富士語学院では作っていますと。

朝早くから学んでいる学生たち。ここでも日本に来てくれるのは嬉しいけれど、ネパールの社会が安定して、若者たちがネパールで生きていける社会になるように、力になれればと、こころから、感じました。