第70回で書いたとおり、2023年8月9日(水)―14日(月)ネパールを訪れました。第70回ではネパールの日本語学校について綴りました。
第71回では、ネパールにたって、『多文化共生』を実感したことについて綴ろうと思います。
8月10日(目)日本語学校での仕事を終えた後、ナイス日本語学校の2人のADHIKARI先生は、その日のホテル、FHEWA(フェワ)湖のレークサイドまで車でつれていってくださいました。アンナブルナ連峰が見える美しい街でした。8月11日(金)は朝から激しい雨がふっていました。その雨の中、FHEWA湖の回りをシヴァ寺院まで歩きました。ネパールは人の数よりも神様の数のほうが多いと言われていますが、まさに実感!
雨は止まず、予定していた時間よりも早くKATHMANDUに戻ることにして、空港へ向かいました。全く予想していなかったことですが、空港は雨で閉鎖でした。
係の人 “The airport doesn’t open.”
わたし “What time will it open?”
係の人 “Now visibility is 300. If it will be 400, that will be all right.”
わたし “visibility? “
空港で5時間待ちました。
2時半になって、もう出航の見込みは立たない、明日も欠航の可能性がある、ということがわかり、今日中にKATHMANDU に戻るために、バスで帰る可能性を考えました。ADHIKARI先生に連絡をとって、どうしたらいいかと相談しました。結局、空港で知り合ったネパール人2人と私たち4人で、丈夫な車といい運転手さんに頼むことにしました。
それからの6時間、POKHARAからKATHUMANDUの山道は、スリルにみちたドライブの旅となりました。雨期の道は、穴ぼこと水たまり、穴ぼこと水たまりの連続でした。運転手さんの運転技術はすばらしいものでした。センターラインもなく、どんどん大型車を追い抜いていきました。追い抜くことはあっても追い抜かれることはない・・・。途中では車が横転していたり、タイヤがはずれた車が立ち往生していたり・・・。危機一髪のヒヤヒヤ、ハラハラ・・・。トンネルはないので、山の周りを回っていく。200キロでも普通は8時間かかるそうです。すばらしい岩層、すばらしい自然の景色、でも写真をとるゆとりはありませんでした。ガタガタ、バンバン、車の天井に頭をぶつけることも・・・。昭和30年代の日本を思い出しました。1964年のオリンピックのために、道路があわてて整備されることになり、アスファルトががたがただったあの頃。
私はただ祈るのみでした。9時に、無事、KATHMANDUのホテルに帰ってきました。4人+ドライバーとの多文化共生。ことばによらない信頼関係。今、ネパールで最初のトンネルが作られています。インフラはまだこれから。未知の可能性を秘めた国、ネパール。ことばによらない多文化共生を実践した貴重な経験になりました。
8月13日(日)KATHMANDUも激しい雨が降っていました。そんな中12時15分に、マダブ セダインMadhav Sedhainさんがホテルに迎えに来てくれました。マダブさんとは、ライフワークとしている『多文化共生』の活動拠点、たちかわ多文化共生センターで出会いました。今は、JDS(Japan Development Service)のcountry managerとしてKATHMANDUのオフィスで日本に公務員を派遣する仕事をしているそうです。日本ネパール友好協会の副会長でもあります。私たちは2年ぶりに、今回は、マダブさんの故郷で再会することができました。
そしてKINGROADのマダブさんの家へ。すばらしい!ラムロ ツァ!!!
すてきなご家族が私たちを迎えてくれました。ラザナさん、アルテットくん(13)、アラディアちゃん(9)。
ネパールビールとネパール料理で歓迎してくださいました。やさしい空間がひろがりました。
その後、車で郊外の山 Osho Topobarn Mediationへ。荘厳な山の中、祈りの地でした。インド人のOshoさんが開いた、祈りと瞑想の地。こころが洗われるようでした。
次に、ネパール最大のヒンドゥー教寺院、パシュパティナート(Pashpatinath)へ。パシュパティナートはインド亜大陸にある4大シヴァ寺院のひとつですガンジスの支流であり、聖なる川であるバグマティ川の対岸にあります。紀元前3世紀には建てられたと言われているこの祈りの地に立って、ことばにならない感動をおぼえました。人間はこんなにも敬虔な気持ちになれるのだと。ネパールは世界で唯一、ヒンドゥー教を国教とする国でした。今は、世俗国家となりましたが、ヒンドゥー教が8割、仏教が1割、イスラム教が4%、キリスト教が1.5%と言われています。
橋のたもとに火葬場があり、遺灰は聖河バグマティ川に流されるそうです。パシュパティナートをマダブさんの案内で、アルテットくんと一緒に4人で、雨のなかを、すべらないようにと、ゆっくり歩きました。猿や犬たちもたくさんいて、自然に多文化共生が行われている地。
旅の終わりに祈りの聖地を、マダブさんとともに歩けたこと。ネパール人、インド人が祈る姿に接して、多文化共生の大切さ、信仰の大切さを体感する旅になりました。
22:30夜行便で成田へ。この夜行便には、マダブさんが派遣に携わった、ネパールの22人の公務員、そしてこれから東京富士語学院で学ぶ3人のネパール人学生も一緒に乗っていたのでした。東京富士語学院の学生が一緒に乗っていたことは、成田の到着ゲートで、ウヨウさんに出会って知りました。ウヨウさんは、ネパール人学生を出迎えに来ていました。ビックリですね。大いなる縁を感じました。これからもマダブさんとつながって、みなさんとつながって、多文化共生を生きていきたいと思います。
参考文献
日本ネパール協会(編)(2020)『現代ネパールを知るための60章』明石書店
地球の歩き方編集室(2020) 『’21-22地球の歩き方 ネパール』学研プラス
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