新CEFRでは、複言語主義・複文化主義に基づいて、言語教育は、その人が体験してきたすべての文化的な事柄がまざりあって、一人の豊かな文化的能力が作り上げられていく行為だとしています。

何度も繰り返しますが、複言語主義とはなんでしょうか?

1.能力としての複言語主義

①複言語主義はすべての話者に備わっている、一つ以上の言語を使用し学ぶ能力である

②複言語主義は様々なレベルの言語を目的に応じて使える能力

③言語教育の目的は複言語能力を伸ばすこと

2.価値としての複言語主義

①複言語主義は言語に対する寛容性を涵養する教育的価値

②複言語主義に対する意識は教育を通して学ぶ必要がある

 

言語教育は様々なレベルの言語を目的に応じて使える能力を伸ばし、それによって寛容性が涵養される。ともに学ぶ仲間がそれぞれ自分を表現し、その内容にこころを開き、互いに認め合い、寛容性をやしない、さらに学ぶ自律的動機づけを高めていく。これこそが共生社会・社会構築のための日本語教育ではないでしょうか。そのために、言語能力の5つの要素、聴く、話す、読む、書く、そして「対話的に考える」ことを続けていく。

2-5クラス。2023年1月21日から複言語主義、複文化主義に基づいた教育実践を重ねてきました。

9か月になります。日本語能力試験にN2に合格した学生は1人。12月の日本語能力試験N2をめざして対話的に取り組んでいます。

この日はN2文法テキスト、p.10。文法項目は「~とはいうものの、・・・」

意味:~は事実なのだが、その事実から当然想像されることが起こらない。

練習1は、前件が与えられていて、後件を作る問題。

①いい大学に合格したとはいうものの、                    

②コロナは収束しているとはいうものの、                   

③日本人の話すことはだいたいわかるとはいうものの              

④先生のアドバイスは理解できるとはいうものの、               

⑤日本に来たのだから日本おnルールに従わなければならないのはわかるとはいうものの

                                

練習2は【短作文】

テーマ「~は事実なのだが、それから想像されるとおりでないと考えていること」

例:日本に留学したら、日本語が上手になると思っていました。確かに、日本語に触れる機会は多くなっているとはいうものの、それだけで日本語が上手になるというわけではありません。もっと自律性をつけて、自分から学ばないと、日本語は上手にならないと実感しています。

                                              

                                                

                                                  

                                                   

学生たちの短作文です。表記もそのまま。内容に注目すれば、よくわかります。

 

写真の専門学校に合格した学生。N2合格

 はじめて写真を勉強したとき、易しいそうと思っていました。今、考えが変わりました。だれでも簡単にカメラで撮ることができるというものの、技術以外の専門を知らないの場合は、素晴らしい写真を撮らないと思います。

理系の大学院を目指している学生。N2合格

日本語を勉強する前に日本語は簡単だと思っていました。しかしカタカナ語があるので、上手になるためには多くの努力が必要です。

中国で会社で働いていた学生 アニメ制作を目指しています。

会社に仕事したら、お金を得ることができると思っていました。確かに、たくさんのお金があるとはいうものの、しかし不自由になります。

ファーストフードでアルバイトしている学生

 日本のマネージャーは最も規則を守る人と思います。しかし前のマネージャーは打刻をしたり、パソコンを見たり、食事をしたり、すべき仕事をしたことがない。

 

10分ぐらいで、このような表現を完成させました。それぞれに、それぞれの今が、それぞれの日本語で、表現されています。クラスメートたちは、他者の表現に耳を傾け、考え、自分のなかに取り入れ、変容していきました。

知的であたたかな空間がひろがります。それぞれの自分が表現されているそれぞれの【日本語】が、本当にすてきだと思います。