大江健三郎(2003)の『往復書簡 暴力に逆らって書く』(朝日新聞社)は、暴力への抗いを、魂にひびく形で綴っています。ギュンター・グラス、アマルティア・セン、ノーム・チョムスキー、エドワード・サイードら11人の知識人と交わした往復書簡。手紙の送り手と受け手の間には、おたがいの知性と感受性への信頼が、しっかりと共有されています。そして、私は、手紙は、確実に、読者に届けられると感じたのでした。

留学生と寄り添うなかで、往復書簡を綴ったことがあります。それは4年間、81通に及びました。

2019年(令和元年)5月8日―2023年(令和5年)6月5日まででした。判決がくだり、求刑が出され、結局Mさんの拘留生活は4年に及びました。

Mさんは私が担任をしていた学生です。非常に聡明な学生でした。日本語能力試験N2に合格し、専門学校にも合格していました。その時、<突然>、逮捕されたのです。私にとっては<突然>でした。

何をしたのか、何が起こったのか、私にはわかりませんでした。ただ、私はどうしたら、Mさんに寄り添うことができるのか・・・。私に、大きな、<対話的課題>が与えられたのでした。

 

私は、国選弁護人のC先生に会いに行きました。何があったのかはわかりませんでしたが、これから私がすべきことが見えてきました。C先生は、Mさんと私をつないでくださいました。

令和1(2019)年5月24日、国選弁護人のC先生の事務所から最初の手紙が届きました。

 

💗手紙1

「C先生へ;いつもお世話になっており、いろいろたすけてくれて、ありがとうございます。以下のことを倉八先生に教えてほしいですので、よろしくおねがいします。

 

最近倉八先生が送ってくれたお手紙を弁護士先生がよんでもありました。そのお手紙の内容を聞いて、L先生が作ってくれた写真を見て、また泣いてしまいました。学校のみなさんと最後まで一緒にいたかったんです。二年間ずっとがんばって来たのに、卒業式に出席することができなくて、本当に残念でした。ここの生活はつらくて、悲しいです。先生に会いたいです。友だちに会いたいです。今後、日本に来るチャンスがないと思いますので、できるだけメモリーを残したいです。そのためにがんばっています。もちろん先生におねがいすることもありますので、大変もうしわけございませんけれど、よろしくおねがいいたします。私のことを心配してくれて、いつも弁護士先生と連絡をとってくれて、私のことを大事にしてくれて、うれしいです。文面になりますが、まことにありがとうございます。お元気で。

 

倉八先生につたえて欲しいことは以上になります。おねがいいたします。ありがとうございます。」

 

H警察署にいたMさんとの往復書簡は2019年5月8日から2020年2月7日まで25通に及びました。私もそれだけの手紙を書いたのだと思います。私は、とにかく、Mさんに寄り添おうと対話を続けたのでした。その間に、何回かH警察署にMさんに会いに行きました。

 

2020年2月28日、T拘置所から手紙がきました。

💗手紙26

倉八先生

返信が遅くなってしまいまして、申し訳ございませんでした。2月18日に「あした拘置所に移送します」と言われて、19日に拘置所に来ました。ここでは自分で持っていた便箋なんか使えないし、買い物の日に合わなかったので、とりあえず書簡を買って、自分の今の状況だけでも倉八先生に伝えたいと思いました。

水曜日に裁判に行きましたが、求刑には入れなかった。裁判官の質問にがんばって答えようとしましたが、私が言っていたことがその質問の答えじゃなかったらしい。その一つの質問にどうやっても正しい答えが出なくて、裁判官も、検事も、C先生も疲れてしまって、私の顔にも限界だという表情が出てきたらしくて、結局時間がたってしまって、裁判はそこで終わりにしました。なぜか分かりません。頭が全然動かなかったんです。C先生もがんばって何回もゆっくり説明してくれましたが、私はちゃんとした反応ができませんでした。自分は一生懸命がんばって答えたと思っていましたが、そうじゃなかった。裁判官は怒っているかもしれません。次回は2週間後です。求刑になります。私は心配しています。C先生に「そこまでよく考えて思い出してください」と言われました。次回まで落ち着くと思いますが、頭がまた飛んでしまうかもしれません。以前ちゃんと答えることが出来ましたのに、なんで今できなくなってしまうのか全然わかりません。本当に心配です。

今回の買い物の日に便箋を買って、またお手紙をお送りします。今度は書簡で失礼させていただきます。まだ言いたいこといっぱいあります。

ずっと先生のお世話になってきました。ありがとうございます。今はいろいろな感染病が流行っています。気を付けてください。また連絡をいたします。どうぞよろしくお願いいたします。お元気で。                      2020・2・28 Mより

 

T拘置所にも何度か会いに行きました。接見の時間は15分だったでしょうか。拘置所に向かうとき、江戸川の夕日がなんときれいだったことか。<どうしているのだろう><笑顔がみられるだろうか>そんな想いで、いつも、足早に小菅から拘置所にむかっていました。

T拘置所での往復書簡は2020年2月28日から2020年10月28日まで29通でした。

このころ、切手は記念切手になっていました。切手好きの私は、Mさんに何があったのだろう?とそのことを手紙に綴ったのだと思います。

💗手紙29

倉八先生

お手紙ありがとうございます。切手を見て、昔のことを思い出したんですね。切手はNという方がくれたものです。「古いけど、普通に使える」と言われましたので、最近、少しでも気分転換になるかもしれないと思いまして、使っております。

“世界の本屋さんめぐり”という本を購入して読んだのがNさんとの出会いのきっかけでした。本のことが詳しく、とてもやさしい方です。たまに本も差し入れてくれます。いつもやさしい人たちと出会えます。自分は運が良いと思います。

そうですね。裁判に出廷しないことにしました。今週の月曜日に弁護士さんが来てくれましたが、私にも裁判の話をしてくれませんでした。ただ、私が判決の裁判に出廷するかどうか、判決の書類は欲しいかどうか、それだけ聞いて、帰ってしまいました。判決は欲しいと言わないともらえないみたいです。正直言いますと、自分がいったい何のために控訴したのか、分からなくなってしまいました。

ごめんなさいと言わないでください。義務でもないのに、良く会いに来てくれまして、私は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。忙しいうち、私のことを覚えてくれまして、大変ありがたいです。ごめんなさいと言うべきなのは私です。ずっとご心配と迷惑ばかりおかけしてきました。大変申し訳ございません。

そうですか。先生ちゃんと日記を書いているんですね。良いことだと思います。私も日記を書いていました。小学校から高校までは母語や中国語のクラスで宿題として書いていましたが、大学生になってからは自ら書くようになりました。でも、大好きな人と別れてしまってから、日記を書くことをやめました。新たな人生が始まったら、また書くようになるかもしれません。

私も、倉八先生は教えるのが大好きだだと思いますよ。学校にいた時、毎日の授業のためにいろいろ準備してくれましたし、学生たちがまじめに聞かなくても、先生は熱心に教えました。進学の時も、面倒くさいと思わずに、みんなのことをすごく助けてくれました。本当に責任感の強い教師だと私は思います。

私は最近落語にはまっております。落語の番組は日曜の夜1時間しかありませんが、毎週すごく楽しみにしております。以前は聞いても分かりませんでしたが、今は聞いてちゃんとわかるようになりました。一人で布団の中で笑ってしまうことが多いです。

最近話すと、「そうなんや」とか、「分からへん」とか、口から関西弁が出てしまいます。たまにですけど。なぜなんだろうと思いましたが、最近村上春樹さんの本の日本語版を読んでいたからじゃないかと思いました。村上さんの本にもあまり関西弁も出てこないんですけどね。ラジオかな?ラジオにも関西弁で話す人がけっこういますからね。関西に行ったこともないのに・・・がんばって標準語に戻ります。

今日私は久しぶりに運動に出ました。少しだけ肌寒くて、秋だなあと思いました。そうですね。今年もあと2か月しかありませんね。速いですね。

弁護士先生のこと、ありがとうございます。私もいつも裁判がうまくいきますようお祈りしております。控訴審でがんばりたかったんですけど、神様が私の心音を聞いてくれればと、毎日お祈りしております。

昼晩温度差がけっこうありますので、お身体お気をつけて下さい。どうぞよろしくお願いを申し上げます。お元気で。                       M   2020.10.28

 

そして、次に手紙が来たのは、2021年2月16日付、住所はF刑務所からでした。

💗手紙30

倉八先生

お元気ですか?身体はいかがでしょうか?Fはすごく寒いですけど、東京はどうでしょうか?

先生に伝えたいことがありまして、この手紙を書いております。お話が長くなるかもしれませんが、どうぞゆっくり読んでください。

Fに来てから今まで、分類面接や先生たちとお話をすることがあったり、S入管から資料が来たりしました。分類の面接があったのは2月の頭でした。その時、身元引受人のことで話しまして、ゆっくり説明してくれました。私は外国人ですから、日本に残ることを希望する場合は、身元引受人と帰住地が必要らしいです。身元引受人がいることを伝えましたが、帰住地のことをよく考えてくださいと言われましたし、自分も考えてみると言いました。日本に残りたい場合は、身元引受人の家で住まないといけないらしいです。出所後、その方の家にとりあえず行きまして、それから近くで家を探せばいいと言われました。が、私は今ビザがありません。それに、日本に残れるか残れないか、決めるのは入管だと言われました。身元引受人が私を自分の家に住ませてくれることになっても、入管に帰ってくださいと言われたら、その準備も無駄になります。

身元引受人の家に住まないといけないということを聞いた時点、私は日本で残ることをやめました。倉八先生は私が日本に来てからずっと私の面倒を見てくれまして、すごくお世話になってまいりました。特に私が逮捕されましてから、先生は全力で助けてくれました。言い切れないほど感謝しております。これ以上先生にお邪魔をかけたくありません。S1さんやS2さんが身元引受人になっても、同じ条件ですので、彼女たちにもお手紙を送ります。

この間S入管から資料が来まして、私が出所後に日本に残ることを希望するかしないか、聞かれました。担当さんに希望しないと伝えました。勝手に決めたと思わないでください。自分なりに考えて決めました。

今日、他の担当さんたちともお話をしました。結婚してないし、子どももいないし、日本に残る必要ないと言われました。何か国の言葉が出来るから、どこにいても良い仕事につくから、帰って家族を安心させてくださいと言ってくれました。それはそうだと思います。日本に残って人にお邪魔をかけるより、いい加減国に帰ったほうがいいです。がんばって、真面目に生きていけば、いつかまた日本に来れると思います。今できることをきちんとやりまして、毎日を大切にしていきたいです。今はそれが一番大事です。

そうすると、私には身元引受人がいないことになります。ここでは家族や身元引受人以外の人と面会できません。倉八先生がFにも会いにいきたいとやさしく言ってくれたのに、本当に申し訳ございません。ごめんなさい。本当にたくさん考えてから決めました。ご理解をお願いいたします。             2021年2月10日

お誕生日おめでとうございます!

ここの発信日が木曜でありまして、ちょうど11日にお手紙を出そうと思いましたが、11日が赤い日であることは忘れてしまいました。申し訳ございません。でも、誕生日当日にお手紙を書くことができまして良かったです。

新しい1年も元気でいますように。先生はいつも新しいことにチャレンジしています。新しい年もまた新しいことをチャレンジしていくだろうと思います。私も先生と一緒にがんばっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。   2021年2月12日

昨日の夜、震度6の地震がFで発生しました。とても怖かったです。部屋のテレビが落ちそうでした。余震も何回かありまして、本当にびっくりしました。こんな地震は人生初めてでした。ずっとお祈りしていました。消防車やヘリコプターの音がずっと聞こえたので、被災があったところは多いのではないかと思いました。本当に怖かったです。

お話が変わりますが、最近テレビで益子焼というものをみました。とても素敵で、日本らしいものでした。外にいた時、上野公園に行って、陶器の市場とかでみたことがありましたが、名前は知らなかったです。テレビで日本文化の番組などをみまして、日本が以前よりも好きになったような気がします。それで日本に残れないことを覚えて、かなしくなります。本当にバカでしたね私は。悔しくて仕方ありません。

明日から新しい工場に行きます。わからないことが多いので、ちょっと心配していますが、全力でがんばって行きます。お身体をお気をつけておすごしください。いつもありがとうございます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。お元気で! 2021年2月14日 Mより

今日、先生のお手紙が届きました。とてもうれしいです。忙しいうち、お手紙をくれまして、本当にありがたいです。

また新しい学生が来たんですね。教え方も変わりまして、本当に楽しそうです。先生も、学生たちも良くがんばっていますね。なんてすてきなことだと思います。

そうですね。3月11日がくれば3.11から10年が経ちます。その時、本当に大変だったと思います。この間の地震のこと、先生はニュースなどでみたと思います。私も毎日ニュースや新聞で新しい情報をみています。コロナ禍で地震が発生するなんて、本当に大変なことです。毎日、神様が守ってくれますようにお祈りしています。

2月15日、新しい仕事に配属されました。明日から始まります。工場の計算係として作業します。担当さんたちが私のことをある程度信じてくれたような感じて、うれしいです。がんばって、みんなをがっかりさせないよう努力します。2月の頭に、販売サービスという教育コースに応募しました。コースは4月から始まるので、今まで選ばれたのかどうかは分かりません。分かり次第、先生にお手紙で伝えます。

先生は何回もFに会いに行きたいと言ってくれました。本当にうれしいです。感謝しきれません。でも、お手紙の始まりに言ったとおり、私は身元引受人がいないことにしましたので、おそらく面会ができないことになっていると思います。本当に申し訳ございません。時間を大切にしまして、がんばって勉強をしまして、寒さにまけないで、心を尽くして生きていきます。先生もお身体を気を付けておすごしください。いつも関心してくれまして、誠にありがとうございます。またお手紙をお送りします。どうぞよろしくお願いを申し上げます。お元気で。                  2021年2月16日 Mより

 

F刑務所からの手紙は2021年2月16日から2023年6月5日まで27通に及びました。

これが最後の手紙です。

💗手紙81

倉八先生

ご無沙汰しています。お元気ですか。返信が遅くなってしまって、申し訳ありません。この2,3か月の間ずっとモヤモヤ、イライラしていて、とてもお手紙を書けるどころじゃなかったんです。ごめんなさい。

そして、今日、6月5日、仮釈放が決まりました。やっと先生にもよいお知らせができて、うれしいです。みんなのおかげで今日までがんばれました。先生のお手紙はいつも私を慰めて、励ましてくれました。ありがとうの一言ではとても物足りませんが、本当に心底から感謝しております。ありがとうございます。

とても長くて、苦しい四年間でしたが、何があってもあきらめない、何にも負けないという気持ちが強くなりました。でも、その一方、誰かに触れられただけでバラバラに崩れてしまいそうに感じるときもあります。矛盾ですね。最近ある本でこういう文章を読みました。「辛い時自分自身に返ってくるのはそれまで生きて来た姿、そのものなのだ。」私は最近ちょっと情緒不安で、自分を責めるときも多かったのですけど、この文章を読んで少し落ち着けました。

8日にS入管へ行く予定です。着いたらまたご連絡します。やっとこの日がきました。本当にうれしいです。これからもお世話になります。どうぞよろしくお願いを申し上げます。お元気で。                    娘より   2023・6・5

 

🌹Mさんとのことばでの対話はこれで終わっています。Mさんとの往復書簡は<思索の時間>でした。いまでも、Mさんとの<対話>はつづいています。Mさんは手紙の中で、何回も故郷ウルムチについて綴ってくれました。そして、1年後、私は、Mさんがいま住んでいるであろうウルムチを訪れることになったのです。Mさん、どうしているのかなあと思いを馳せながら。

Mさん、本当にありがとう。ひとは、間違うものです。私もそうです。Mさんは、異国の地で、生き抜いたのですね。私が寄り添えたかどうかはわかりませんが、私も誠心誠意、<対話>しました。Mさんが綴ったこころからの叫びの言葉に寄り添いながら。

Mさんが苦しい状況のなかで綴ってくれた81通の書簡を、いつか、丁寧に読み直してみようと思います。

元気でいてください。Mさん。

 

引用文献

大江健三郎(2003)『往復書簡 暴力に逆らって書く』朝日新聞社