人間の欲求を5段階に整理したのはマズローです。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求です。これらの欲求がみたされないとき、人間は恐怖を感じ、孤独になり、不安を感じる。そして、それが頂点に達したとき、人は、犯罪を犯したり、体に変調をきたしたり、こころに病んだりするのです。
一人で、異国の地にいる留学生は、この人間の基本的欲求がみたされない状況に陥りやすいとも言えます。お金がなくて十分に食べられず、眠れず、生理欲求がみたされない。親から離れ、満足できる住環境になく安全の欲求がみたされない、友だちができず、ルームメートとうまくいかず、日本社会にうまくなじめず、集団から疎外感を受け、愛情を感じられず、社会的欲求がみたされない、日本語力がつかず、日本文化になじめず、承認欲求がみたされない、日本に来て自己実現をしたいと思っていたのに、日本の就労ビザがとれそうにもなく、どうしたらいいのか、自己実現の欲求が満たされる状況とはほどとおくなる、など。
私は、留学生とかかわるなかで、孤独や不安から、犯罪にいたってしまったり、体に変調をきたしてしまったり、心を病んでしまう留学生を見てきました。そのたびに、私なりに<寄り添う>と言うことについて考え、寄り添おうと実践してきました。
統合失調症研究の第一人者である、中井久夫氏は、恐怖と孤独と不安が発病に結びつくとしています(中井久夫1998『最終講義 分裂病私見』みすず書房)。統合失調症の一つの特徴は「突然現れてただちに最大強度に達しそうして突然消える」(前掲書p.)9です。そして統合失調症を同期しやすいのは、一日のうちでも夕方だそうです。『実際に、夕方は対象のない不安が高まります。また、患者のなかでも夕方だけ分裂病症状を示す人が結構あります。さらに、誰であろうともおおよそ四時から七時までの間は不安や孤独感が高まるようです。』(前掲書p.48)
今回、ある留学生が、突然発症する姿を目の当たりにしました。やはり夕方でした。
どんなに寂しかったのだろう。
どんなに孤独だったのだろう。
どんなに不安だったのだろう。
なぜ、眠りがやってこなかったのだろう。
なぜ、身体化できなかったのだろう。
その姿を目の当たりにした私は、<寄り添う>ことができなかったことを、次のように表現しました。
参考文献
中井久夫(1998)『最終講義 分裂病私見』みすず書房
Yさんへ
2024年9月29日Yさんは、千葉松戸から北区中十条2-22-14に一人で引っ越したんですね。彼と別れて、一人になって、たくさんのお金を使って、北区に引っ越しました。その晩、コンビニで8000円も使って、プリンなどを買いました。そのとき、もう、寂しくて、ひとりぼっちで、自分に耐えられなくなって、自分を分裂せざるを得なくて、別人格が現れてきたのだと思います。統合失調症の第一人者であり、私が深く尊敬し、神戸大学にも会いに行った、中井久夫氏は、分裂病を発症するのは黄昏時であり、その寂しさを感じるときに、本当に愛する人がこころから抱きしめてくれたら、統合失調症は発症しないと結論づけています。 私も、Y.さんと同じように、本当につらい経験を何度かしています。 we chatでいろいろな絵文字が送られてきたとき、Y.さんの心は、寂しさに頽れていたのだと思います。やさしいリンさんは、Yさんがお酒を飲んでそうなったと言ったけれど、こころが保たれないときはお酒をのんだような状態になる、つまり、別人格があらわれてくるのです。ごめんなさい。私はそのとき、Yさんに何も対応しなかったのです。そのとき、Yさんの気持ちをこころから聴けていたら、ちがったのかなと思います。 Yさん、リンさんと私は、できることを精一杯しました。 Yさんは、2-3クラスの201クラスで、いつも一番前の席にすわって、静かに勉強していました。 10月2日と3日の2日間、私は、Yさんとずっと話し続けられたことを、こころから嬉しく思いました。大切なはなしをずっとしてくれていました。 リンさんのYさんに対する姿勢にも、私は感動していました。「こころから対話している」姿をみて、10月2日、中十条に夜9:00に置き去りにして帰ったこと、申し訳ないと思っています。Yさんは、本当に寂しかったのだなあと思いました。私も置き去りにされたことがありますから。そこから立ち直ってほしいなあと思います。 10月3日心配しながら、朝10時、Y.さんの家に着いた時、Yさんは助けを求めて泣き叫んでいましたね。一番はじめに気づいたのはやはりリンさんです。親のことを言いながら泣き叫んでいた。ご近所のみなさんは、あなたの叫びに向き合ってくれていました。それほどあなたの叫びは大きかった、住民を変えるほどに。 あなたの心からの叫びが、私たち(林さんと私)と、通報してすぐかけつけてくれたFさん、王子警察署の防犯課のTさん、Hさんのこころを動かしました。私は、10時から3時まで、リンさんが駐車した駐車場にかがみこんでY.K.さんを受け入れてくれる病院をさがそうと、保健所はじめいろいろなところに電話しました。でも、Yさん、ごめんなさい、私にはできなかった。みんなに受診拒否をされました。Yさんは、ずっと車の中にいましたね。それに対応してくださったのも王子警察のかたです。Y.さんは、29日夜、通報されて、王子警察に行って、王子警察の対応がこわくて、人格の統合を失ったのですが、それを救おうとしてくれたのも、王子警察です。そのことを知らせておきます。 リンさんと私が、駐車場で5時間、身をかがめて対応しているのを、見守ってくれていたのは、王子警察署防犯課のTさんでした。10以上の病院から受診拒否にあって、途方に暮れている私たちを救ってくれたのです。3時すぎに「じゃあ、王子警察署にいきましょう」と言ってくれたのです。どんなに救われたことか。いくところが、初めて、できたのです。 王子警察署に入る時、あなたは「ここは来たことがある。こわい」といってしゃがみ込みましたね。リンさんに何か言った。そのとき、リンさんは「トエプチ」と心から謝ったのです。Yさん、このことに、いつか気づいてください。リンさんへの感謝に、いつの日か、気づいてくださいね。 その後の時間は、先が見えないなかで、私たちはYさんに、こころから向き合いました。だって、このまま中十条の家に帰すわけにはいかない、そうしたら死んじゃう、じゃあ、私の家につれてくることができるか、それもできないのです。 どうなるかわからない状況のなかで、できることは、理事長と校長の理解を得ること、こころが崩れてしまったY.さんとこころから対話すること、そして王子警察署の理解を得ることでした。 Y.さん!おぼえていますか。Yさんは、私たちに手を握ってほしいといったり、心臓がいたいから、胸をさわってといったり、トイレに行きたいから、トイレの中までついていったり、あの3時間、こころからの対話をしました。一生分、こころからの対話ができたと感じました。本当にありがとう! そして、信じられないことが起こったのです。電話がかかってきて、都立豊島病院に行くことが認められ、都立豊島病院に行きました。Yさんは、すなおに、警察の車にのってくれました。そして、みんなで静かに、病院に行きましたね。Yさんは、また、トイレに行きたいと言って手こずらせたけど、甘えたかったのだと思います。いっしょにトイレにいましたね。5分の大切な時間でした。 お母さんもいない、お父さんもいない、弟さんもいない、だれもいない状況で、Yさん、本当に、孤独ななか、私たちといっしょに、よく頑張ってくれました。違う人格になって、生き続けてくれたことに感謝します。死ななくてよかった。 私たちにとっては、警察の方、お医者さんはやさしかったけれど、Yさんにとってどうだったのか、わかりません。閉鎖病棟にいれられたことに気づいたとき、感じることは大きいでしょう。Yさん、ごめんなさい。これしかできなかった。謝ります。 ずっと私の手を握り続けてくれたYさん、心臓がいたいといって、おっぱいの下に私の手をもっていってくれたYさん。何もできなくてごめんなさい。 病院に押し込むしかなかった、私たちを許してください。 これから、私にできることをします。ずっと祈り続けます。Yさん、ありがとうございます。元気になってくださいね。いつまでも見守ります。 2024年10月6日 東京富士語学院 Y.K.さんの担任 倉八順子 |
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